木の葉が緑からオレンジに変わりかけた頃、は突然消えた。
日差しはまだ暖かいが少し風が冷たくなってきた10月のことだった。
緑の葉が少しずつ黄色くなり、早いのはもう赤い。見事にグラデーションができていた街路樹を二人で歩いていた。
僕は、人前では決して手をにぎったりなんてしない。彼女、もそんなことはしない。
僕達はポツリポツリと会話をしながら目的もなく歩いていく。
「綺麗な葉っぱだねぇ…色とりどりさざめいていてオーロラみたい」
「そうだね」
僕がと出会ったのはイタリア。
カフェテリアが続く道で僕は敵のマフィアを見張るべく夜中からこっそり物陰に隠れていた。
早朝と言える時間のせいか、辺りはひどく静かで遠くの物音までよく響いた。うすく霧がかかっている。
そんな中、遠くから不規則なリズムで鳴り響く足音。動き出したのか?僕は意識をはっきりとし、いつでも銃が打てるよう素早く構えた。
霧の中からぼんやりと現れる陰は、飛んだり跳ねたりしていた。
現れたのは、ヒラヒラのスカートをはいてバレェともワルツともいえないダンスを踊る少女だったのである。
手足をゆっくり動かし、うっすら霧をまとっている。小さく何か歌をつむぐ彼女はどう見てもまだ17、18の少女。しかも僕と同じ日本人。
いきなりの登場に僕はまず目を疑った。次に、頭を疑った。徹夜のしすぎで疲れているのだろうか。
気がついたら彼女は目の前まで躍り出ていて、建物と建物の間に隠れていた僕はばっちし彼女と目があった。
その瞬間、酔いが覚めたかのようにピタリと動きを止める、未熟なバレリーナ。
「お粗末様でした」
と礼儀正しくぺこりとおじぎをしながら言い残し、普通に歩いて帰ろうとした彼女を止めた僕の右腕は、無意識の産物としか言いようがない。
とにかく彼女は普通の人とはひと味違った。どうにもこうにも、気がついたら僕はどっぷりと彼女にはまってしまい
どうやら普通とは違う彼女を手に入れたくててんてこまいな毎日を送る、男と成り下がっていたのである。
昔から僕は、規則や常識、型などといったものに物事をあてはめたい傾向があった。自分もそれを重んじた。
しかし、は規則や常識、型など全く知らない女の子だった。何を考えているのか分からない子だった。僕だけだろうか。
僕だけなのかもしれない。僕にないものを持っている彼女が、魅力的に見えないわけがなかった。
聞けばはその時はまだ高校生だった。
なぜ高校生があんな格好であんな時間にイタリアにいたのか、僕は2・3度聞いたことがある。
一度目は、イタリア観光しにきたかったのよ
二度目は、早朝だれもいない路地で踊ってみたかったのよ
三度目は、ダーツやってささった所が地球儀のイタリアだったの
どれも本当で嘘なのかもしれない。
が高校にいっているのはあまり見た事なかった。
はいつも遠くを見たり、空想してよく遊ぶ子だったから一緒にいても恋人である僕をないがしろにすることなんてしょっちゅうだった。
そもそも恋人になるのにも苦労した。その過程はあまりにも僕らしくないので省かせてもらう。
を探して町を歩きまわることなどしょっちゅうだった。
高校を卒業したというのにまだ公園でブランコをこいで遊んでいたり、
かと思えば、ブランドの服に身を包み銀座を歩いて大人買いをしたり、
どこにも見当たらなくて、ぐったりと家に帰ってきたら僕の部屋のクローゼットの中ですやすやと寝ていたり、
どうして君はじっとしていられないんだい?と聞いたことがある。
は言った。
そのうち宇宙に飛び出すかもね
それは困る。さすがに僕は宇宙まで君を探しにいけない。僕は、ずっと僕の側にいてくれないか、僕が君の好きな所に連れていってあげるからと言いたかったけれども、そうしてしまったらはでなくなる気もした。彼女は自分の本能に従って生きている。
大人になったの行動範囲はすさまじく広がった。
ある日、は僕の部屋で雑誌を読んでいた。それは珍しくファッション雑誌で、広告にものすごく見入っていたから僕も気になってそれを覗きこんだ。
月が浮かんだ夜の砂漠を背景に女の人が香水の宣伝をしている。
その晩、彼女に何を言っても語りかけても上の空だった。
それから三日後、は忽然と消えた。どこを探してもいない。僕は心底焦った。とうとう、とうとう彼女を見失ってしまったのではないかと。
恐ろしい闇が僕を包んだ気がした。彼女の部屋を無断で捜索した。そうしたらパスポートがないことに気がついた。
僕はもうその頃には立派な裏家業といわれるものを営んでいたので、一般人であるが飛行機に乗ってどこに行くのかだなんて簡単に調べがついた。
そうして調べた結果、やはりというかなんというか…僕の心配は的中していた。
さくさくさくさく
砂漠にスーツはまずかっただろうか、砂が靴の中に入ってくる。ヘリコプターを後ろの方にとめて僕は夜の砂漠を歩く。
コートが夜風にはためいた。闇がどこまでも続き、月が終わりのない砂漠を明るくそしてぼんやりと照らしていた。
星が瞬く音が聞こえてきそうなほどだった。僕はどうか、どうか、と願いながらさっきヘリコプターに乗っている時に確認した場所へとゆっくり近づく。
「…」
砂丘を超えた先に彼女はいた。
でっかい丸い満月を背景に、彼女はらくだにもたれ眠っている。
彼女は知らない。見つけた時、僕が涙を流したことを。
ある時は、ヒマラヤ山脈の少数民族と一緒にラマに乗っている時もあった。
僕は、飛行機にのりバスにのり車にのり船にのりそして現地の案内人を二人通して彼女を迎えにいった。
ある時は、インドの山の上の寺院で座禅を組み、静かに瞑想していた時もあった。
僕は、まわりの僧達が止めるのも聞かず彼女を担いで日本に帰った。
海にもぐっていた時もあった。エジプトのナイル川で働いている時もあった。お城で暮らしていた時もあった。
かと思えば、ニューヨークの高層ビルの窓掃除をしたり、牧場で家畜を追っている時もあった。
僕はいつもいつも彼女を失うまいと追いかけた。
僕は彼女をこの手でしっかりと抱きかかえている実感がいつもない。それがとても悲しい。彼女の存在はいつももろく、儚い。
が見ている世界は僕と同じ世界ではない。
は間違ってここに存在してしまったかのような女の子だった。
だけれど僕にはが必要だったし彼女もここで生きていくからには僕を必要とした。
けれど彼女は離れていく。僕はそれを追いかける。
「僕が君を迎えに行かなかったら…どうなるんだろう」
「恭弥はどうするの?」
僕は想像した。彼女を永遠に失う悲しさには耐えられそうもない。
頭の悪い問いかけをしたなと僕はその時、自分を叱咤した。
長い長い片思いの気もする。
彼女は自由とこの星を限りなく、そして恐らく少しだけ僕を愛していたから。
いつになったら僕 だけを見てくれるのだろうかと思う。
ただ、彼女を見つけたとき、いつも彼女は僕だけをみて「恭弥」と言う。
あの時の愛だけは、全て僕だけのものだった。
ぼくは きっとそれだけのために を探し続けるのだろう
これからもずっと…
さて、
窓から外をのぞくと、町の木々はすっかり赤くそまってしまっていた。
先日、彼女と木の葉道を歩いたときはまだ緑も残っていたというのに。彼女がオーロラみたいと比喩していたかけらは微塵もない。
僕は彼女の携帯に電話する。もう少しで彼女の誕生日だから、デートに誘って欲しいものはないかリサーチしてみよう。
そう思いつつも何度かけても彼女の携帯に誰かが出ることはなかった。
彼女の携帯も彼女が住んでいるマンションも僕名義のもので、マンションに行ってみても誰もいなかった。
もちろんパスポートもなかった。
僕は一人、彼女の部屋に入り、窓をあけて換気した。冷たい風が入ってくる。
隣に彼女がいないのはとても寂しい。
きっと彼女をまた見つけ出してみせる。
僕だけを愛してくれる瞳を思い出して、心が震えた。
僕は部屋を後にし、まずは部下に彼女が乗った飛行機を調べるよう連絡した。
恐らく、今回彼女が向かった行き先きは南極だろう。
今頃、エスキモーと暖をとりながら夜空を見ているに違いない。
見つけたらきっとまた僕の好きな笑顔で「恭弥」と呼ぶのだろう。
それを思い出して僕はニヤリと笑った。
それは季節とともに変わりやすい彼女に惚れてしまった僕の不幸な物語。
09,03,15